暮らし

 大量消費社会の中で育った世代が70代までを占めてしまったいま、誰もが「暮らし」の存在を非常に薄くとらえているようで、貧富に関わらぬ「中身の貧しさ」を感じます。
 ここでいう暮らしとは単なる暖衣飽食云々ではなく、ひと一人がこの世を去るときに持って行ける唯一の記憶となるべき「日々の暮らし」。虚飾抜きの「現実」です。
 例えお金持ちでも、その暮らしが必死に物を買い込み食べあさりサービスを消費しつづけるルーチンワークでしかないのなら、それはやはり「貧しい暮らし」でしょう。
ちょうどいまの40代50代は、幼少期から青年期にあたる時代に少し上の新人類世代が演出するところの絢爛豪華で強烈な「バブルの夢」を見させられて価値観が崩壊し、少なからぬ数が大人になってもこうした「金持ちの貧しさ」を見抜けぬ世代と相成りました。
 兵庫県知事選の誹謗中傷からきょう逮捕された長野の通り魔事件に至るまで、この世代が「こんな筈じゃ無かった」と繰り返し社会を壊し続けるなか、往時に「楽しくなければテレビじゃない」とこの世代を浮かれ踊らせまくった側の人物が、いまや無様な馬脚をさらし批判される晩節を迎えているのも因果なきことではありますまい、と思う次第です。(Янв. 2025 г.)